ショーペンハウアー協会関東地区研究会のお知らせ
日時 : 99年11月13日(土)午後2時より
場所 :学習院大学哲学科閲覧室(大学は、JR山手線目白駅下車、改札口を右手に行って
すぐ。閲覧室は、北2号館<文学部研究棟>4階)
発表者 : 三富 明氏 (中央大学教授)
発表題目 : 「物自体としての意志」の否定について
発表要旨 :「意志の否定」という思想はショーペンハウアーの主著『意志と表象としての世界』の最後の数節で、いわば結論めいた形で語られている。彼の発言を引用すると、「真の救い、生と苦悩からの解脱は全面的な意志の否定なしにはおよそ考えられない」。意志の否定の教説は、彼の哲学の体系の核心をなしていると言ってもよいだろう。事実、この教説を吟味すると、彼の哲学の様々な面がよく見えてくる。
本発表では、二つの点に限って、検討を加えてみようと思う。一つは、意志の否定、正確には、意志の自己否定と言った場合、そこで否定されるべき「意志」とはどういう「意志」か。ショーペンハウアーの言葉を使えば、「物自体としての意志」か、それとも「人間の意志」、個々人の意志か。別の言い方をすれば、意志の本体か、それとも意志の「現象」か、あるいはその両方のことなのかという点。結論を先に言えば、私の見るところ、これは、両方の意志のことである。
もう一つは、「意志」を否定する、意志が自己自身を否定すると言った場合の「否定する」とはどういうことかという点。今述べたように、否定されるべき意志が、個人の意志であると共に物自体としての意志でもある以上、それぞれについて、個人の意志を否定するとはどういうことか、物自体としての意志を否定するとはどういうことかというように、問う必要がある。今あげたあわせて三つの問いの中で最も重要なのは、二つ目の後半の問い、物自体としての意志を否定するとはどういうことか、である。この「否定」は「絶滅」を意味せず、「転換」「変容」を意味するのではないだろうか。