研究プロジェクト「ショーペンハウアー研究の新世紀へ
― 主著刊行200 周年を機縁とした国際共同研究」
(〔基盤研究(B)(一般)、課題番号:17H02281〕)研究企画概要



本プロジェクトの詳細

【研究目的】

本研究は、ショーペンハウアーの主著『意志と表象としての世界』(奥付1819年/刊行18年)の新解釈を打ち出すことを目的とする。近年、世界各国で、精密な文献考察に基づいた彼の哲学の研究が進展しつつある。しかし、同書の形成過程や哲学史的位置づけ、現代的意義については、まだ明らかにすべきことが多い。本研究では、同書刊行200周年を機縁とした国際的な共同研究を行うことで、各国研究者の蓄積を相互に照らし合わせ、同書の形成史および哲学史的位置を再考するとともに、彼の哲学の現代的意義(生命/環境倫理、宗教問題、地球的正義などへの視座)を提示する。それによって、ショーペンハウアー哲学が、9・11以後、3・11以後の「暗い時代」を生きるさまざまな人々に必要とされる哲学であることが示されると期待される。


【学術的背景】

近年のショーペンハウアー研究の主流は、鎌田康男の研究( Yasuo Kamata, Der Junge Schopenhauer, Freiburg/München 1988)以来、「形成史の影響史からの独立」とでもいうべきものであった。ショーペンハウアー哲学の一つの特徴として、成立期と受容期の間に世界史的な大きな断絶(産業革命、市民階級の勃興、自然科学の飛躍的発展など)があったという点が挙げられる。それは彼が変革の時代と対峙していたということを意味するが、その哲学は成立期の文脈から完全に離れて受容されてきたせいで、「そもそもの意図」は忘却されるか、問われることなく放置されてきた。そうした忘却に異を唱え、主著に収斂する彼の哲学の意図を掘り起こすこと(形成史的研究)がショーペンハウアー研究における近年の際立ったトレンドだったのである。また、それによって影響史がより客観的に研究されるようにもなってくるなど、現在、日本を含む世界各国でそうしたトレンドに基づく研究成果が蓄積されてきている(例えばSchopenhauer-Handbuch(Daniel Schubbe / Matthias Koßler (Hrsg.), Weimar 2014)など)。研究代表者と分担者が最近刊行した著書や論文も、多かれ少なかれこうした問題意識を引き継いだ『意志と表象としての世界』論であった。しかしこれらの研究も、ショーペンハウアーの旧『遺稿集』(Hübscher 版)や主著のリプリント版に多くを負っており、同時並行的に進展している以下①~③の研究動向と連携することが切望されている。
①国際ショーペンハウアー協会(Schopenhauer-Gesellschaft)が中心となって、彼の遺稿があらためて編集・整理されつつある(これまで出版されてきた前記Hübscher版『遺稿集』には編集上の難点が指摘され、これを補完するかたちで2015年と2016年にそれぞれ500頁を超える遺稿集が新たに出版されている)。
②マインツ大学にあるショーペンハウアー研究所では、『意志と表象としての世界』の版ごとの加筆・修正を明らかにした「批判版」が準備されつつある(先にあげた鎌田を嚆矢とする近年の研究は、そうした加筆・修正のせいでオリジナルが見えにくくなってしまったことの問題点の指摘から出発していた)。
③国際的に連携した研究の環境が整いつつある。ドイツのほかに独立した協会として日本ショーペンハウアー協会とイタリアのサレント大学にある「ショーペンハウアー及びショーペンハウアー学派研究センター(Centro di ricerca su Arthur Schopenhauer e la sua scuola)」が存在するが、それ以外にもインドやブラジルに国際ショーペンハウアー協会の支部が組織され、相互の交流がなされつつある。ただし、現時点ではどれも単発の交流にとどまっており、組織的で持続的な共同研究にはいまだ至っていない。
かくして、今こそ世界中のショーペンハウアー研究者が連携し、主著に集約される彼の哲学の新たな解釈を打ち出すべく、共同研究を進める機が熟しているのである。本研究は、そうした国際的共同研究の場として以下に記す国際会議の開催を計画するが、メンバーの渡欧(とくにドイツ渡航)の際には極力、上記の協会、研究所、アルヒーフなどを訪れて資料や情報の収集に努める予定である。世界の中で研究をリードし続けるには、そうした資料収集は不可欠である。


【本研究の内容】

上に挙げた近年の動向を踏まえ、本研究は、以下の三点を主軸に据える。
①ショーペンハウアー哲学の形成史的研究のさらなる深化:若きショーペンハウアーの哲学形成史、とりわけカントやドイツ観念論との対決内容は解明が進んでいるが、その全容が明らかになったとはいまだ言い難い。またドイツ講壇哲学やゲーテやスピノザ、さらに中世思想家たちとの関係や東洋思想の受容といった論点も、いまだステレオタイプの理解を脱していない。本研究は国際共同研究の強みを生かしてこれらを多角的に扱い、主著の形成過程の全貌を明らかにする。
②中・後期におけるショーペンハウアー哲学の「変質」の解明:この領域では、自然科学が大きなテーマとなる。超越論的観念論から出発したショーペンハウアーが、飛躍的発展を遂げていた同時代の自然科学を吸収するなかで、唯物論的発想に接近し、「変質」したのではないかという問題(cf. Alfred Schmidt, Idee und Weltwille, München 1988)は、彼の哲学の展開およびその影響史を考える上で、避けては通れない。これは、観念論と実在論(およびその究極形態とされる唯物論)との調停というショーペンハウアー哲学の全体的理解の核を形成する問題であるので、世界中の研究者たちの多様な理解を突き合わせ、生産的な解釈の方向性を探る。これによって、主著以降も含めたショーペンハウアー哲学全体の、同時代及び前後の時代の哲学史・科学史における意義を明らかにする。
③現代的諸問題へのアプローチ:i)「内在的物自体」として理解される「意志」と身体との同一性というショーペンハウアーの独特の発想は、例えばミシェル・アンリが高く評価したように、心身関係や自然観に新しい視点をもたらすポテンシャルを秘めている。ii) ショーペンハウアーは生命至上主義を否定する。この立場が現代の生命倫理学には全く欠けている視角を提供してくれる可能性は、探究に値する。また、動物との共苦・共感可能性といった動物倫理学の問題圏もショーペンハウアー研究が生産的でありうる領域である。iii) 現代国際社会における極めつきの難問である宗教問題について、ショーペンハウアーの意志否定論(と共苦(同情)倫理学)を手がかりとしながら、宗教的救済と社会的連帯の両立がいかにして可能かを問う。
このように思想史的観点と現代的観点とからショーペンハウアー哲学の根幹をなす問題群に正面から取り組むことにより、本研究は、現代と同じく時代の転換期を生きたショーペンハウアーの哲学が、とくに9・11以後、そして3・11以後の「暗い時代」に生きる現代人にとって十分な知的・実践的な糧となりうることを広く世界に認識させることを目指す。


【本研究の特色】

①国際性。本研究は、ドイツ・日本・イタリアのショーペンハウアー協会ないし研究所の全面バックアップの下、インドやブラジル、そしてイギリスやフランスの研究者たちとも連携し、世界で初めて、真の意味での国際的共同研究を行うものである。
②先端性・包括性。本研究は、ショーペンハウアー哲学の全体について、これまでの研究の蓄積を総括しつつも、国際ショーペンハウアー協会やマインツ大学ショーペンハウアー研究所をはじめとした各国最新の研究成果を集成する意味で、世界の最先端を行くものとなる。
③若手の積極的起用。本研究は、国内の若手研究者を多く起用するのみならず、「Call for Papers」を通じて世界中から新たな研究者の発掘・育成を目指し、世界的なショーペンハウアー研究の「新世紀」を拓くものである。



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